
ワーケーションー南米・ペルー・マチュピチュの旅ーマチュピチュでワーケーション
前回までのあらすじ
日本を出て35時間。
アメリカでの乗り継ぎ、リマでの仮眠を経て、
ついにマチュピチュ村へ到着しました!
今回は、ついにマチュピチュ遺跡に到着編です。
最後までお付き合いください^^
ここは日本の湯治場か?!

ここ、銀山温泉じゃありません。
そう、ようやくたどりついたマチュピチュ村です。
38時間もかけて到着したら、なんとも見慣れた風景で驚きました。
明日の午前中の枠で入山する予定なので、今日はマチュピチュ村で一泊します。
ところで、ご存知でいたでしょうか。
日本の裏側にあるマチュピチュ村、その初代村長さんのこと。
Mr.Nouchi Yokichi
え?!みすたー のうち よきち?
え?!野内与吉さん?!
そう、なんと日本人だそうです。
wikipediaによると、野内与吉さんは福島県生まれ。
1917年、21歳のときにゴム景気で湧くペルーに移民し、1923年よりペルー国鉄で勤務。
マチュピチュまでの鉄道建設に携わったのを契機にマチュピチュに移住。
1939年にマチュピチュ地区の行政最高責任者に就任、マチュピチュの村昇格直後、1948年から2年間、村長を務め、1969年に現地で物故するまで、村初のホテル「ホテル・ノウチ」を開業したり、水力発電所を作ったりするなど村の発展に尽力した]。
ホテルは初の大型木造建築でもあり、1階部分を交番や郵便局として無償で貸与、後に2階部分も村長室や裁判所として村のために提供し、ホテル・ノウチを中心に村が発展することとなった。
とのことです。
今から100年以上前にマチュピチュに行くには、どれだけの時間がかかったのでしょう。。。
38時間くらいで弱音を上げていたら、今の日本人は弱くなったなとあきれれてしまいますね!
疲れた体を癒す温泉だってあります 注)ビール臭い笑
なんと、温泉までありました!
どこまでも日本みたいだ・・・。
せっかくなので、行ってみました。

こんな道を歩くこと5分くらい。
見えてきました。

寒いこともあり、一番暖かい温度のお湯に全員集合していました。
ビールが飲めました。(※高山病にアルコールは良くないと聞き、飲むのあきらめました。)
だからか、やたらアルコール臭がしました。
水質は濁っています。
そして、ぬるかったです・・・。
しかもスタンディングです。
うーん、あんまり身体を休めるという感じではなかったですね!
料金は20ソリでした!300円くらい。
マチュ・ピチュ行く、行かない?
マチュピチュ村から遺跡まで、ツワモノは歩いていく人もいるらしいのですが、私はもっとも楽なはバスで向かいました。
バスで15分ほど。
ああ、ようやくだ・・・と思ったらまだまだ全然甘かった・・。

このバス内の写真、ブレてるのわかりますでしょうか。
そう、激揺れ・・・。
一瞬たりとも揺れは収まらず、ギュウギュウのバスに押し込められいろは坂のようなつづら折りを登ります。
途中から見える景色も壮大なものだったのですが、もうそれどころではなく・・・。
無事に早くついてくれることを願うばかりでした。
そして、ついに!

バーン!
着きましたー!!
待ちに待ったこの景色!!
本当に素晴らしかったです。
もう、ここまでの道のりの苦労なんて、ふっとんじゃいました!
なぜインカ帝国は500年も昔、この地にこんな壮大な村を作ったのでしょう。
最大750名がこの地に住んでたと言います。
今もなお、その謎は解き明かされていないようです。
だからこそ、我々はこの地に強く惹かれるのでしょうか。
敷地も広大です。

2時間くらいアッという間に時間が経ってしまいました。
天気も良かったので、座ってのんびりもできました。
そして、これ!

ちゃんとワーケーションしてきました!
今は、本当にどこでも仕事ができてしまいますね。
インカ人もまさかここで、こんな風に仕事をする人類が出てくるとは思わなかったでしょう。
私たちは、ますます自由にどこへでも行けるようになっています。
ネットさえつながれば、どこでも仕事ができるようになっています。
1つの場所に縛られることなく、意思さえあれば多くのところへいける。
働き方への意識改革、もっというと生き方への意識改革がまさに始まっていると思います。
クリアしなければいけないことは山積みかもしれませんが、せっかく素敵な流れが来ているので、どうしたらもっともっと自由になれるのか出来る方法を皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。
ワーケーション マチュピチュ編、長くなってしまいましたが、ここで終わりにしたいと思います。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました^^
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